メンタル
これを書くかどうか迷ったのですが、、
可笑しな表現になるかもしれませんが、
気に障ったらご容赦いただきたいのですが。。
T先生との診察、会話もそうでしたが、、
最近、先生とのメールのやりとりが、とても楽しいです。
不謹慎、不適切な表現であれば、勘弁してください。
一時期、自分では手に負えなかったメンタルの悪化も、先生の診察、ならびに斯様なメールのやりとりで、大分「ほぐれる」「やわらいだ」感じがします。
鬱病で休職している同僚のようになるのか、と不安になった時期もありましたが。。
最近はメンタルも落ち着いてきたような気がします。
ご多忙とは思いますが、気が向いたら、からかうような内容、茶化すような戯言、仕事の愚痴、些細なことでも構いません。
何か送信して頂けると、メンタルの刺激、気分が和らぐ感じがします。
信頼できる人間とのコミュニケーションがメンタルにとって一番の特効薬なのかもしれません。
天使のわけまえ
私の好きな楽曲は2004年5月にリリースされたGLAYの“天使のわけまえ”です。
GLAYデビュー10周年を飾ったこの楽曲が収録されたCDはスズキのシボレー・クルーズのCMソングに起用され、さらに同年の2?3月に行われたライブツアーにおいて各地方の会場での音源が収録された地方盤が8種類あります。
この曲を知ったきっかけは当時通っていた高校の後輩でした。デビュー当時からGLAYファンをしている後輩は10周年をとても喜んでいて、彼女をここまで虜にするGLAYの曲はどんなものだろうかという軽い好奇心でこの曲を聴いてみる事にしました。
私が楽曲を好きになる理由や根拠は特に無く直感で好きだと感じる事が多いのですが“天使のわけまえ”に関してはこれまで以上にその直感が強く働いたのです。こんな素敵な曲を作れるGLAYというバンドの事をもっと知りたいと思い他の曲を聴いたり経歴を調べているうちに、気付けば私自身もGLAYのファンになっていたのです。
GLAYファンになった高校時代当時はMDで音楽を聴く事が多かったのですが、現在は主に車のCDプレイヤーかスマホのYouTubeで聴くようになっています。以前の車にはMDプレイヤーしか搭載していなかったので録音の必要がありましたが、現在の車にはCDプレイヤーが搭載されているので手間いらずで快適に音楽が聴けるようになりました。YouTubeでの視聴は家の中が中心で、主に家事をしながらヘッドフォンを着けて聴いています。
ファンになってから数年は観音寺駅から徒歩15分の音楽ショップ“オオサカヤ”でCDやDVDを予約購入していましたが、2011年に公式通販サイト“G-DIRECT”が設立されてからは通販限定盤が発売されている事もあり最近は専らそちらで購入しています。
カラオケで歌う曲の中には必ずと言っていいほどGLAYの曲も入っています。結婚前は観音寺駅から徒歩5分の“まねきねこ”が行きつけのカラオケ店でした。結婚後は宇多津駅から徒歩10分のゴールドタワーで子供を遊ばせるのに便乗しタワー内の“アリオン”で歌っています。
GLAYの楽曲は全般的に好きなのですが、前述の“天使のわけまえ”以外では1990年代後半にヒットした“誘惑”や“Winter,again”、
“ダイヤのA”のオープニングテーマに起用された“空が青空であるために”も特に好きな楽曲達です。カップリング曲やアルバム曲も魅力溢れる曲が多く、そのひとつひとつにもGLAYの想いが詰まっている事が聴いていてよくわかります。
結婚してからは子供がいる事もあり一度もライブに行っていませんが、結婚前は毎年のようにライブに行っていました。初めてのライブは2005年の福岡ドーム(現:福岡ヤフオク!ドーム)で、その後も全国ツアーでは広島グリーンアリーナ、観音寺市民会館、香川県県民ホール、マリンメッセ福岡など西日本の会場に行きました。関東でのライブだと味の素スタジアムや幕張メッセにも行っています。
GLAYの曲をピアノ演奏するとしたら、GLAYの皆さんが曲に込めたイメージや想いを大切に出来る演奏をしたいと思います。人前で演奏するとしたら尚更の事、GLAYの曲のイメージを大切にしている他のファンの人達にも満足してもらえるような演奏がしたいです。そして人前で演奏するにあたってはもうひとつ、聴いて下さる観客の皆さんと一体感を出し全員で楽しめるような演奏を目指したいです。これはTERUさんが目指しているライブの形でもあり、GLAYの曲を演奏するからにはその点も考慮したいです。
GLAYの曲はTERUさん、TAKUROさん、HISASHIさん、JIROさんの4人の個性が絶妙にマッチし彼らの持ち味が十分に生きています。時には思わず笑ってしまい、時には感動して涙を流す…そんな曲を数多く世に送ってきたGLAYの曲は今日も私を元気付けてくれています。
希望退職
LIXILグループで正社員を対象に希望退職?が開始されました。
コロナショックの後、部署によってはワークシェアリングで週休3日とか、1ヶ月のうち1週間の連休で出勤調整という措置が取られていることもあるようです。
通常、希望退職というものは過去の例から見ても、割増し退職金が支払われるものです。
しかしながら、会社側も今回のコロナ騒動では、そのような資金の余裕はないらしく、「割増し退職金もナシで、今すぐ勤続年数に応じた退職金を支払うことになったようです。」
この退職金の支払いは拒絶することも出来ないようで、強制的に支払われるようです。
そして、
「今後の勤続年数に応じた退職金は支払いません」
という何とも切羽詰まった状況のようです。
分かりやすく、例をあげて説明すると、
仮に、高卒で18歳で入社した、勤続年数30年、48歳の人の場合。
今までの勤続年数30年分の退職金を今すぐ支払います。
60歳定年とした場合、残りの12年分の退職金は支払いません、ということです。
何ともスジの通らない、おかしな話ですが、それだけ会社側も追い詰められているのでしょう。
素材課のほうでは原材料のアルミビレットをタイ工場から購入して小矢部工場での生産を中止するとかいう話もあがってきているようです。
いずれにせよ、LIXILに将来性はないようです。
沈みゆく船からは早めに逃げ出しましょう。
今年の1月
今年の1月に眼科でクスリの副作用により左目がと眼球使用困難症候群いう難病になりました。
瞳孔が閉じていても開いたような状況で眩しいのです。
お茶の水井上眼科の若倉先生に診察してもらいましたが、治療法は確立していないとの説明でした。
6月から仕事で交替勤務に入ることになりました。
日勤の時は感じないのですが、夜勤の時、金属の型材に反射したLED照明を見ると目が痛くなります。
一応、仕事は出来ます。
これが原因?かどうかは不明ですが10月くらいから鬱々とした感じに夜勤の週はなります。
若倉先生からは向精神薬と散瞳剤は使用不可と言われていますので、現在ツムラ12を使用しています。
また巻き肩、腰痛、側弯症を持っています。
上記の症状ですが、貴院ではパニック障害にも対応しているとのことなので問い合わせさせて頂きました。
産業医との面談結果ならびにtry
お忙しいところ返信を頂きまして,誠にありがとうございます。
貴重なお休みの日に私に返信するために時間を割いて頂いたことに感謝します。
1
「視野検査も行う予定です。事前に来院日をお教え頂ければ幸いです。」
診察時間は大体どのくらいかかりますでしょうか?
それによって行ける日が異なってくると思います。
2
「私は、認定産業医の資格を持っているので」
色んなことが出来るのですね。
敬服します。
「眼科医では無理と2回で辞めました。」
優れたビジネスオーナーですね。
藤田田も「見切り千両」と書いてました。
>>11月16日
O市H山内科、
H山医師との面談がありました。
後の予定が押しているとの理由で30分予定の面談を10分程度で切り上げられました。
「私は眼科ではないので中枢性羞明症候群と言われても分からない。」
「お茶の水?へー」
「東京まで行ってきた?」
「家はT市?」
「いろんなクリニックに行ったのですね」
「タカドウ先生?良いのでは」、
「一番酷いときを10としたら今はいくつくらい?」
「お母さんの認知症、ひどい?」
こんな会話で終わりました。
やっつけ仕事のようでした。
精神科または心療内科、眼科なんて話も一切なかったです。
私との面談の後の用事のほうが遥かに大事だったのでしょう。
封筒に書いてあった佐藤という人物は東京本社の保険担当の名前だそうです。
面談結果は東京本社に送られるそうです。
私へのフィードバックは恐らくはないであろうというのが総務課からの説明でした。
あっさり終わって拍子抜けしました。
後が押しているというから他にも面談者はいるのかと思ったのですが、誰もいませんでした。
終了後、H山先生は直ぐに帰りました。
3
「30代半ばにとても辛い時期があり」
私が県外に住んでいた時期かな?
「身体的にも髪が抜けるという異状が出ました。」
何があったか訊くつもりはないですが、幸か不幸か、そのような先生のお姿を見たことはないです。
「泣きたい事、死んでしまいたいと思ったこともあります。」
これは意外でした。
順風満帆の人生を送ってこられた方だと思っていました。
「それでも働かなくてはならず、本当に辛かったです。」
お医者さんも大変ですね。。
私の友人で32歳でリタイアした人がいます。
不動産で成功しました。
I市出身、N市在住です。
ほぼ毎日、遊んでいます。
たまにセミナー講師として全国に行きます。
先日は熊本に行ったそうです。
しかしながら20代で6000万円の借金を抱えたときは、円形脱毛症になったそうです。
子供の時には母親がエホバの証人にハマって大変だったそうです。
複雑な家庭環境だったらしいです。
双子の妹は厚生連高岡の看護師らしいです。
4
「そのうち大きな震災があり、その惨状をTVで見ていました。」
阪神淡路大震災ですか?
あの時、私の父親は神戸にいて被災しました。
1週間音信不通でした。
葬式の準備も考えたのですが。。
真っ黒な顔をして帰ってきました。
大阪まで歩いて、その後サンダーバード雷鳥に乗ったそうです。
ちなみに震災が起きたのは1月17日ですが、1月15日(当時は成人の日、祝日)に私は京都にいました。
この友人に会うためです。
(今は縁が切れましたが)
持参した寝袋で岩倉の彼の6畳のアパートで一泊しました。
風呂なし、紙がない共同トイレで家賃1万2千円の木造です。
いつの間にか教授になっていました。
彼も随分、出世したものです。
知らない間に、ずいぶんと差が開きました。
持参した手土産のマス寿司が翌日には硬くなっていました。
二人で、昨日のうちに食べておけば良かったな、なんて言いました。
私は16日に帰宅したので間一髪?でした。
父親が神戸にいることを帰宅してから母親から聞きました。
似合わない場所に行ったな、、と思っていた矢先の出来事でした。
5
命という文字は「人は一度は叩かれる」と書く。
何かあるから人生だ。
斉藤一人
災難に逢う時節には災難に逢うがよく候
死ぬ時節には死ぬがよく候
これはこれ災難をのがるる妙法にて候
良寛
今までの人生を振り返った時に、失敗も挫折も渦中にいる時には判らなかったけれども、自分にとって必要な出来事だったと思うのです。
今回の出来事も振り返ってみると恐らくは自分にとって必然性のある出来事だったのでしょう。
7
『あれもこれもtry、try。あなたがいろいろ試しておられることも「体に害がなければ」とやかく言うこともありません。』
「体に害がなければ」意味深ですね。。
笑わないで頂きたいのですが、「try」のひとつとして、
s先生の御姿を写真に撮らせてもらうわけにはいきませんでしょうか?
不安でたまらなくなると無性にs先生の顔が見たくなるのです。
最後の拠り所みたいな感じになっています。
私にとってS先生の存在自体がクスリなのです。
御真影としてお守りにしたいのです。
治療の一環ということで、受けて頂けませんでしょうか?
携帯の待ち受けにするか、印刷して額に入れて飾るか?
こんな感じになる?
S先生のお姿が私にとっての精神安定剤なのです。
変なことを言っていると思ったらスルーして下さい。
メンタルが壊れつつあるので、おかしなことを言っているかもしれません。
手のかかる患者、
費用対効果、コスパの悪い患者で申し訳なく思っています。